第20回 『人工知能の将来』 

皆様こんにちは.人工知能の第20回目の今回は,人工知能の将来について書いてみたいと思います.

現在,第三次人工知能ブームが起き,毎日のように人工知能という言葉を聞いていますが,そろそろ人工知能という言葉も聞かなくなってくると思います.ブームが起こると必ずブームは去ります.では,ブームが去ると人工知能もなくなるのかというとそういうわけではありません.人工知能を使うことが当たり前になり,わざわざ「人工知能搭載」と言わなくてもよくなり,特に意識されることがなくなっていくだけだと思います.第一次,第二次ブームの時も同じであったと言われています.時に「人工知能は陽炎(かげろう)のようだ」と言われたりします.これは,人工知能が実現できたと思うと,次の問題,次の目標ができて,いつまで経っても真の人工知能はできないといったことを比喩した表現です.そう思うと,人間はやはり貪欲ですよね.

普及すると人工知能は人工知能ではなくなる.これは,そのモノに知能を感じなくなるということも表現していると思います.コンピュータに知能があると思うのかどうかは,あくまでそれに接している人間自体の解釈次第です.どこまで行っても人間が主体なのだと思います.しかし,だからといって,そんなに人間は特別なのでしょうか?そんなに複雑に人間は日々いろいろな物事に接し,解釈し,判断し,行動に繋げているのでしょうか?案外「てきとう」に,案外単純に判断などをしていないでしょうか?そんなに毎日,毎回,複雑に扱っていたら大変ですから...私はそんなに複雑に考えず,結構惰性で,結構習慣的に物事に対処していることも多くあります.そう思うと,あまりに人間を『神格化』し過ぎであるような気もします.確かに,人類は地球上で大成功を収めていますが,人間だけがすごいのでは決してありません.また,人間だけでは絶対に大成功を収めることはできなかったと思います.

このように考えると,人工知能ももっと単純に答えを出したとしても良いのかもしれません.人間が信頼,信用をしてくれるのであれば...将来的には人工知能はなくてはならない技術になりそうな予感がします.そうなると,如何に人間と共存するのか,共存できるのかが重要になってきます.何を人間がやり,何を人工知能に任せるのか.人工知能を信頼できる道具として,うまく使いこなす能力を人間は養う必要がありそうです.

第三次人工知能ブームが去ったあと,一定の時が経つと,また第四次人工知能ブームが来るかもしれません.その時,どんな人工知能になっているのでしょうか.非常に興味深いです.私は生きているのか?という疑問もありますが...研究者が良心を持って開発した技術を,技術者が良心を持って製品にし,その商品を,良心を持って利用する環境,人類になっていて欲しいと願うばかりです.

次回は,人工知能で取り組むべき課題について書いてみたいと思います.