第10回 『コンピュータは感情を持てるのか』

皆様こんにちは,同志社大学の土屋誠司です.記念すべき第10回目の今回は,コンピュータは感情を持てるのかについて書いてみたいと思います.

人工知能の研究をしているとよく質問されることの一つに,「将来コンピュータは感情を持つことがあるのか?」というものがあります.実は,私も研究として『感情』を扱っています.例えば,発話者が抱いている感情を発話内容から推定する技術などを研究したりしています.感情は,人間しか持ちえない特殊な感覚として認識されていることもあり,コンピュータが感情を持つことに抵抗感を抱く方も少なくないようです.実際,数年前までは,海外で研究発表を行うと,いわゆる「神の領域」,「神への冒涜」とばかりに批判されることも多くありました.そういう意味では,年末から年始にかけて,クリスマスを楽しみ,除夜の鐘を聴き,初詣に出かける日本人ならではの宗教観のおかげで,日本では研究の幅の広さを実感します.

さて,本題の「コンピュータは感情を持てるのか?」ということですが,『感情』とは何なのか,また,『持つ』とはどういうことかの定義により結論は変わることになります.が,私は,コンピュータは感情を持てない,また,持つ必要がないと思っています.

人と一緒に共存できるコンピュータを考えた場合,やはり人間の状態を認識したり,理解したりする必要がありますので,コンピュータに『感情』という概念は必要不可欠です.しかし,コンピュータ自身が感情を持つ必要はないのではないかと思います.コンピュータが感情を持っているかのように接する人が感じることさえできれば,コンピュータに思いやりを感じることができるのであれば,十分に共存することができると思います.逆に,下手に感情をコンピュータが持ってしまうと,怖いSF映画のように人間が支配されてしまうかもしれません.なぜなら,感情とは,論理的で合理的な判断を逸脱させるときに活用されるものだからです.だから,非情な戦争なる行動を人間は取ってしまうのです...

コンピュータに感情があるように感じたことであれば,皆さんにも経験があるのではないでしょうか?例えば,愛車で彼女とデートをするときに限ってエンストしたり,どうも体の調子が悪いと思ったら愛車のランプが切れていたり...私にもこのような経験があります.某車メーカーの話だと,工業製品に「愛」を付けて呼ぶのは車だけとか...自分の車に感情移入しているからこそ,嫉妬しているとか一心同体などと感じるのだと思います.また,別の例では,SONYさんが1999年から2006年に発売し話題となった犬型ロボットのAIBOの話があります(最近aiboとして再販されました).2014年に修理の受付も終了してしまい,処分せざるを得ない状況が出てきました.その時,愛犬として一緒に生活されていた方の中には,ちゃんと供養をして,埋葬する方がいらしたと話題となりました.第三者からすると単なる機械,おもちゃなのかもしれませんが,一緒に生活されてきた方にすれば立派な相棒なのです.愛車にもAIBOにも感情はありません.でも,生きた感情を感じるのです.

いろいろ言われている人工知能も万能ではありません.そこで次回は,まずは,人工知能が得意なことについて書いてみたいと思います.