第5回 『知能があるということの判断の仕方』

 皆様こんにちは.同志社大学の土屋誠司です.前回の第一次人工知能ブームに関連して,第5回目の今回は,その時に議論になった知能があるということの判断のやり方について書いてみたいと思います.

 第一次人工知能ブームでは『探索』と『推論』という2つの技術が注目されました.これはいわゆる我々人間が『考える』,『思考する』という行為に近いものがあります.そこで,このまま技術開発をして進化を続ければ,我々人間と同じように『知能』のあるコンピュータを作れるのではないか,つまり,人工知能を開発できるのではという考えに繋がりました.
 実際,第一次人工知能ブームの時には,人と会話のできるELIZAといわれるシステムが開発されました.これは,精神分析医のインタビュー代行システムで,患者さんと実際に会話を繰り広げることができました.患者さんの中には「本物の人間の先生よりも親身に話を聞いてくれて頼りになる」と回答した方もいらっしゃったとか.では,『知能』があることをどうすれば証明できるのか?その一つの方法として提案されたのがチューリングという人が提案したその名も『チューリングテスト』です.これは,被験者がコンピュータを使って相手と話をし,その話し相手が人間かコンピュータを当てるというものです.もし,コンピュータが話し相手なのに被験者が「この話し相手は人間だ」と思った場合,このコンピュータは人間と同じ,つまり知能があると言えるのではないかという実験方法です.逆に被験者が「この話し相手はコンピュータだ」と思った相手が実は人間だったら...その話し相手の人間は何なんでしょうか?実際にこの話し相手として活動した方の体験記のような書籍が発売されています(「機械より人間らしくなれるか?:AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる」:Brian Christian(原著),吉田晋治 (翻訳):草思社).ご興味のある方は是非ご一読してみてください.「コンピュータと間違えられたらどうしよう.」,「どうやったら人間だとわかってくれるのか」といった複雑な心境なども綴られており,人間って何だろうと考えさせられる非常に興味深い話です.
 それでは,このチューリングテストに合格すれば本当に知能があるといえるのか?そこで議論になるのがいわゆる『中国語の部屋』という思考実験です.中国語がまったくわからない人が部屋にいて,そこに中国語で質問がきます.その人には質問の意味はわかりませんが,その質問にはこう答えよという指示書があり,その人はその指示書の通りに回答します.すると,部屋の外にいる人には,その部屋の中には中国語がわかる人が居るのだと思わせることができるという話です.つまり,中国語がわからなくてもあたかも中国語がわかるような振る舞いをすることができる,よって,知能がなくても知能があるような振る舞いをさせることはできるということになります.同じような話で,『無限のサル定理』というものがあります.これは,何も考えずに無作為に文字を打ち込んでいくといつかはどんな文章でも出来上がるという思考実験です.比喩的に『サルがタイプライターを永遠に叩き続けると,いつかはシェイクスピアの作品を作ってしまうかもしれない』という話です.

 本当に,知能って,人間って何なんでしょうか?面白いですよね.次回は,人工知能の第二次ブームについて書いてみたいと思います.

同志社大学人工知能工学研究センター