第6回 『人工知能の歴史 ‐第二次人工知能ブーム‐』

 皆様こんにちは.同志社大学の土屋誠司です.第6回目の今回は,人工知能の歴史として第二次人工知能ブームについて書いてみたいと思います.

 第一次人工知能ブームは,実験室では有効であったものの,実際に我々が直面する複雑な問題には一切使えなかったことが原因となり,1970年代後半に残念ながら終焉してしまいました.世間は非常にドライなもので,これまではすごい技術だともてはやし,多くの研究費を投入してくれていたのに,手のひらを返したかのように研究予算を削減されたり,予算が出なかったり,はたまたペテン師呼ばわれされるなど,研究者はかなり冷遇されたようです.それでも知的好奇心を糧にめげることなく研究者たちは研究活動を続け,ついに第二次人工知能ブームを起こすことに成功しました.1980年代のことです.

 第二次人工知能ブームでは,複雑な問題にも対応できるようにするため,専門家の考え,専門知識をデータベースとして記憶させる『知識ベース』という技術を導入しました.つまり,専門家である人間が実際に使っている知識や実際に行っている判断をそのままコンピュータで実行させようという試みです.この方法は理想通りに活躍し,実際,飛行機の自動運転などに利用され,非常に大きな成果を残すこととなりました.現在の飛行機では,離陸,着陸時などを除き,ほとんどが自動運転になっており,飛行機が事故を起こした際には,ほとんどが自動から手動に切り替えられたときであると言われるほどにまでになっています.
また,ちょうど日本ではバブルの時期とも重なり,人工知能を搭載した家電などが数多く販売されました.これらには,『ファジィ』という技術が使われました.この技術も,専門家の知識を利用し,「0」,「1」だけではなくより柔軟な判断ができるように進化させたものでした.

 しかし,第二次人工知能ブームも例外なく,やはり衰退の道を取ることとなります.それは,『知識ベース』も『ファジィ』も専門家の知識,判断をすべて記録する,登録する必要がありますが,その作業が非常に大変であったことが主な原因です.専門家の方に多くの時間を取っていただく必要があり,また,出来上がったデータベースをメンテナンスするのにもまた,専門家の力が必要になります.もちろん新入社員には到底そのような作業はできず,『匠の技』を次の世代に引き継いでいく必要が出てきます.ただ,それには多くのコストがかかります.ちょうどバブルも崩壊し,集中と選択をしながら,効率を最優先にせざるを得ない環境では,どう考えても不都合です.そのようなこともあり,1990年代後半にはこの第二次人工知能ブームも終焉を迎えることとなったのです.
 モノは作るのも大変ですが,そのあと,保守・管理をすることも非常に重要です.また地味な保守・管理にも多くのコストがかかるということをしっかりと認識してモノの作る必要があることを忘れていた,意識しなかった,意識したくなかった時代なのかもしれません.近年では,さらに廃棄するコストもしっかり考えなければなりませんが...

 次回は,現在起こっている人工知能の第三次ブームについて書いてみたいと思います.

同志社大学人工知能工学研究センター