第25回 『外来語と日本語』

皆様こんにちは.自然言語処理の第25回目の今回は外来語と日本語について書いてみたいと思います.

グローバル化がどんどん進んできていますが,言葉もまた輸入したり輸出したりされることがあります.特に日本では,古くから海外の文化,文明を学び,取り入れるべく,外国の言葉を非常にたくさん輸入してきました.これは,日本語の一つの特徴かと思います.例えば,「襦袢」,「瓦」,「天ぷら」,「ポン酢」,「ばってら」,「カステラ」などがそれにあたりますが,「えっ,この言葉も!?」というものもあるのではないでしょうか.これらは,発音を真似て,漢字やひらがな,カタカナなどで表現したものになります.また,「フォアボール = 四球」,「ストレート=直球」,「コーヒー=珈琲」,「カタログ=型録」,「ページ=頁」などのように,意味を考えて翻訳したり,『当て字』を用いたりしたものもあります.戦時中は,敵対する国から来た言葉を『敵性語』と呼び,禁止したことも影響を与えている部分があるかと思います.近年では,海外の言葉の発音をそのままカタカナで表記することで,まるごと使用することが多くなっています.「データベース」,「コンピュータ」,「ハイブリッド」,「コア」,「ガイドライン」,「コンセプト」などがこれにあたります.

このいわゆる『カタカナ語』が至る所,至る場面で多用され,NHKの放送でもよく耳にするようになってきています.確かに,『カタカナ語』で表現しなければニュアンスが掴みにくい,『カタカナ語』の方が分かりやすいものもあるのは事実です.先の例ですと,「データベース」,「コンピュータ」,「ハイブリッド」は,いわゆる日本語で表現,説明した方が分かりにくくなってしまうかと思います.しかし,なんでもかんでも『カタカナ語』で表現するのはいかがなものかと思います.先の「コア」,「ガイドライン」,「コンセプト」は,それぞれ「中核」,「方針」,「概念」と普通に表現できるものかと思います.なんとなくかっこよくって,凄そう...ただそれだけの理由で『カタカナ語』を使用することは,私としましては絶対反対です.その理由は,情報格差の一つの原因になる可能性があるからです.一般的に使用される言葉は,老若男女,広く多くの人に区別なく理解できる表現であるべきだと思うからです.最低限,義務教育の範囲内で理解可能な表現は,特に大事にすべきかと思います.

自然言語処理の第21回の機械翻訳でも書かせていただきましたが,言語が違えば,ある単語が表現する概念も異なり,その言語のその単語でなければ表現できないものもあります.だからこそ,日本語で表現できるもの,日本語でなければならないものをしっかり見極めて,それらはちゃんと日本語で表現して欲しいですし,そうしたいものです...最近は,海外から言葉を輸入するだけでなく,日本語を輸出しているケースも多くなってきているようです.例えば,「モッタイナイ」,「カワイイ」などはそのまま外国で通用する単語になってきているようです.日本の素晴らしい文化,考え方を海外の方々が受け入れてくれている証拠かと思います.我々ももう少し胸を張りながら,また,胸を張れるように言動には気を付けながら,日本文化を大事にしていかなければならないと思います.

次回は,技術とその名前について書いてみたいと思います.