第14回 『言語と国』

皆様こんにちは,同志社大学の土屋誠司です.自然言語処理の第14回目の今回は,言語と国について書いてみたいと思います.

前回の方言のところでも書きましたが,使用する言語が異なれば,情報が漏れることも少なく,敵味方も簡単に判別することができます.そのため,言語と国には密接な関係があります.現在世界では,約6000もの種類の言語が使用されているとも言われています.聖書の中の「バベルの塔」で有名な話では,元々人間は一つの言葉を使用していましたが,神の逆鱗に触れ,お互いの話が通じないように様々な言語を話すようになったとされています.最近のニュースになっていましたが,太古の昔に,世界中で統一的に使用されていた言語の原型があったとか,なかったとか...これら言語の誕生は,人間の営みの中で自然発生的にできたものです.非常に興味深い現象だと思います.

言語の種類と同じく,国もたくさんあります.また,日本も関西や関東など,地域という枠組みで捉えれば,さらに多くのものになります.上記の考え方に従えば,もちろんその国,地域ごとに使用する言語も異なるということになります.その国や地域で使用される言語のことを『母語』や『母国語』と呼ぶことがあります.しかし,この2つが示すものはまったく別モノになります.『母語』とは、生まれた環境で小さい時から慣れ親しみ,生活をしていく中で自然に身に着けた言語のことで,『第一言語』とほぼ同じ意味合いになります.一方『母国語』とは,自分の国籍のある国で公用語(国語)として使用されている言語のことになります.日本では,基本的には『母語』と『母国語』は一緒ということになりますが,世界的には『母語』と『母国語』が異なることの方が多いようです.この現象は,歴史上,一度も植民地になっていない日本という国の特異性によるところも大きいと思います.

このように見てくると,言語と国は非常に密接に関係していると非常に強く感じます.その国,地域の文化や風土,考え方や国民性が詰め込まれたもの,それが言語なのかもしれません.例えばドイツと聞くと,まじめで硬いというイメージを持ちませんでしょうか.ベンツやBMW,ポルシェなどのドイツ製の車も硬くて丈夫なイメージがありますが,言語においても曖昧性が少なく,文法構造がしっかりしていると言われています.また逆に,日本語は,これまでにも書いてきたように,非常にあいまい性があり,省略することも多いですし,最後までしっかりしゃべらないという傾向が強いです.そのため,相手を察する,思いやる,行間を読む,いわゆる「おもてなし」の精神に繋がるのだと思います.

グローバル化が叫ばれる中,日本においても,幼少期から英米語を学習すべきだという動きが強くなってきています.英米語を自由に使いこなせることは,世界の多くの人々とコミュニケーションを取るためにはなくてはならない重要な技術です.しかし,言語はあくまでコミュニケーシを取るための一つのツールに過ぎません.真の意味でコミュニケーシを取るためには,伝えるべき内容と伝えたいという情熱,そして人を思いやる心が何より重要かと思います.そのためにも,『母語』を疎かにすることなく,我々の日本語も大事にして欲しいと思います.

次回は,正しい日本語について書いてみたいと思います.