第10回 『文章の意味』 

 皆様こんにちは,同志社大学の土屋誠司です.自然言語処理の第10回目の今回は,複数の文で構成する文章の意味について書いてみたいと思います.

単語は基本的には多義性を持ちますが,文もまた多義性を持ちます.文の意味は,文中の単語同士の関係性で意味を捉えましたが,同じように,文章の意味は,文同士の関係性で意味を捉えることになります.例えば,次の3つの文を見てください.

・博多に行った

・明太子を食べた

・美味しかった

一つひとつの文は,それぞれ意味を持っていますが,3つの文を連続して並べると,並んだ段階で新たに意味を形成することになります.上の並び方であれば,

・博多に行って,有名な明太子を食べた.

・そこで食べた明太子は美味しかった.

という解釈が一般的でしょう.しかし,

・明太子を食べた

・美味しかった

・博多に行った

と並んだ場合はどうでしょうか?

・家で食べた明太子が美味しかった.

・そこで,明太子で有名な博多で本場の明太子を食べるために出かけた.

といった解釈になりませんでしょうか.

並び方が異なるだけで,その行間には異なる意味が生まれ,解釈が異なってきます.このように,一つひとつの文をまとめて表現した際に意味が生まれる現象を『結束性』と呼びます.また,「美味しかった」としか表現していませんが,それが「明太子」のことであることは明白です.しかし,「明太子が美味しかった」とは一切言っていません.我々は,この『結束性』を自然に理解し,行間を読むことで円滑にコミュニケーションを取っています.

「忖度」という言葉に最近悪い意味が含まれるようになってしまったようですが,本来は相手を思い,行間をしっかり読んで,解釈し,理解し,相手を思いやるという素晴らしい考え方,行動かと思います.特に日本人は,この行間を読む能力が高いと言われています.そのため,表現自体が曖昧になってしまい,海外の方にとっては,「日本人ははっきりものを言わない」と見られてしまうこともあります.また同時に,「分かってくれる」と勝手に思い込んで,詳細には説明せず,トラブルになった経験は皆様にもあるのではないでしょうか.一から十まで言うのは面倒ですし,馬鹿にされているように感じることがあるかもしれません.しかし,一から十まで言わないと,本当は正確に相手に物事を伝えられるという保証はありません.絶妙な匙加減で扱わないといけないということになります.言葉は本当に難しいですし,奥深いものですよね.

次回は,意味を伝えることの難しさについて書いてみたいと思います.